自分の著書を遺す行為は、決してお金のためだけではなく、いやむしろ、何か感じてくれる人が世の中にいてほしいという希望があったからだ。
今は、普通の暮らしをしているが、今日田んぼの畔を草刈り機できれいにしている、男性高齢者を見た。
私も米を育てているので、帰ってから、それを見習って、農具を使って、半分くらい刈った。
失礼な言い方になるが、あんなおいぼれがやっているのに、俺もやらないとと感じるものがあったからだ。
私が借りている土地より広く、年老いて、作業着の裾はドロドロ。
先祖代々の土地は、自分の眼の黒いうちは、絶対に売らない。
売って金にするなら、自分が死んでからにしろ。
自分が死んだ後のことなんざ、知ったことか(勝手な妄想)
心意気というものは、別に言葉がなくても、見ている人には伝わるものだ。