太宰論の核心

もともと小説が好きではなかったが、作者の生き様が作品にあらわれている小説の方に、関心が向くようになった。

太宰作品はすべて読むつもりだが、なかなか進まない。理解を深めるために、評論や解説書も参考に読んでいる。

最近、東郷克美『太宰治という物語』を読んだ。東郷は、鹿児島出身で、実家は放置しているらしい。同書では、そうした「不良」的な自分と、太宰とが重ね合わされている。

この東郷の告白を踏まえると、同書の核心は、次のようになる。つまり、後期の太宰作品、とくに『人間失格』を読み解く上で、また彼の「死」の要因を考える上でもっとも重要な点は、「故郷喪失」だということになる。

戦後当初は、自らを「農民」だと自覚して、おのれの罪深さを自覚する人々の「桃源境」を目指していた。

しかし、疎開した青森の生家から再び上京した太宰は、その「桃源境」が幻想であったと悟り、自ら「滅びの民」となることを選んだ。

東郷が現在どのように過ごしているのかはさておき、東郷が故郷に帰らない自分の姿を、太宰に重ねていることは、間違いないだろう。ここに、太宰論の核心がある。

後日、続きを書いてゆくが、問題は、どのように太宰作品を論じるかということだ。

 このサイトでは、小説や文芸評論を取り上げながら、どうすれば「絶望」から「真実」をつかむことができるのかについて検討していきます。なお、『先導者たち』というブロマガサイトでも、筆者自身の闘病体験を踏まえて、文筆活動を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA