太宰治にはなれそうにない。私は、今月21日で、39歳になる。記憶の限りでは、39歳の誕生日に、太宰治の死体が発見されたという。
太宰の全集を所有しているが、あれだけの質と量の作品を、その歳までに書き上げるには、他のものを捨て去る覚悟がなければならなかったであろう。私は、捨て去る覚悟があったものの、このまま太宰のように亡くなってしまえば、彼のような読み継がれる作品を残せないままで終わってしまう。
太宰は太宰、私は私。そう割り切るしかない。太宰であっても、芥川賞への未練を断ち切る際には、芥川は芥川、と考えて、踏ん切りをつけざるをえなかったのではないか。
だとすれば、私の道とは何か。このまま腹かききって死んでみせたところで、作品の出来映えからして、将来に悲観した「子ども部屋おじさん」が自殺しただけで終わってしまいそうである。
作品ができていなくとも、生活を送るしかない。これまでないがしろにしてきた生活から、やりなおしてゆくしかない。退院後は、そのように考えて、現在に至っている。
作家の五木寛之さんが、人生論的な本のなかで、芸術や崇高なものをあがめて生活を軽視する者は、間違っていると指摘されていた。私たちは、魚や動物の命を頂戴しながら、生き永らえさせてもらっているのだ。
退廃した生活を送っていた青年太宰でさえ、いわゆる「中期」において、再婚や、戦争という悲惨な体験を題材とした作品を残している。それは、家庭を持ちながら、同時に、芸術作品を残すべく、「小市民」的な生活を営んでいたということだ。
太宰は、生活の苦しみを十分に理解した上で、戦後の「後期」に、「家庭の幸福は諸悪の本」という思想にたどり着いたのだ。
私が、太宰のデフォルメよろしく、現代において、「家庭の幸福」を批判したところで、目新しいものは何もない。太宰作品が読み継がれている理由は、吉本隆明や奥野健男が述べたように、「話体」にあることは間違いないであろう。それには、時代を超えて、響き合うものがある。
たとえば、生活の目的が理解できないのです、と言われたら、私もとても同感します。あるいは、他者との距離感に悩んでいるのですと言われれば、よく分かりますと答える、というように。
ただ、そうした「普遍性」だけではなく、太宰の存在の特異性は、戦後日本という時代を、誰よりも先に読み取ったという「特殊性」にもあるのではないか。なぜそれができたのであろうか。
彼が、歴史や伝統をどのように解釈していたか。戦後は、どのように歴史や伝統と断絶してしまったのか。